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大分|職|職人の技

玖珠町

大野原きじ車保存会

Vol.29
 玖珠町の中心部から車で15分ほど、JR北山田駅近くののどかな田園風景の広がる道を進んでいくと、目の前に大きな大きな「きじ車」が姿を現します。今回の「職」は、このモニュメントを制作し、この地に伝わる郷土玩具「きじ車」の保存伝承を行っている「大野原きじ車保存会」をご紹介します。保存会の発起人であり、会長である高倉三蔵(たかくらさんぞう)さんにお話を伺いました。

 「きじ車」は、東北の「こけし」とも並び称される九州地方独特の木製の玩具で、かつては九州各地でさまざまなタイプのものが作られていました。
 ここ玖珠町のきじ車は、江戸時代、この地域の庄屋の家に子どもが生まれた祝として村人がきじ車を贈ったところ、その子どもが大変喜んだ、というのが由来とされています。以来、この地域では、子どもが引っ張ったり乗ったりして遊ぶおもちゃとしてきじ車が作り続けられてきました。
 戦後、地元に住む上野寛吾さん、中村利市さんによって作り継がれていましたが、小鹿田焼を愛したことでも知られるバーナード・リーチ氏がそのシンプルな造形美を賞賛したことにより、一躍脚光を浴びます。当時は中村さんが材料であるコシアブラの木を求めて地域の家々を回っていたほどだったとか。
しかし昭和50年代半ばに中村さんが亡くなり、きじ車の制作はいったん途絶えてしまいました。地域の人々に愛され、受け継がれてきたきじ車がこのまま消えてしまうのは惜しい、と立ち上がったのが、高倉三蔵さんです。平成2年、地元の有志を募って保存会を立ち上げ、上野寛吾さんの親族の上野直さんから教わりながら、この地に伝わる伝統の形そのままのきじ車の制作を始めました。
 発足当時とはメンバーの顔ぶれもだいぶ変わってきましたが、現在もこの地域に暮らす10名の会員で制作を続けています。玖珠町のきじ車が制作できるのは、素材の木の特性上、秋から冬の間のみなのですが、シーズンになると月に1度、農業や左官、大工といった昼間の仕事が終わると、地域のきじ車作業場に集まります。
 「もともと土産物などではなく、地域の子どものために作られていたものなので、彩色もなくシンプルそのもの。しかし色がない分、わずかな形やラインのバランスの違いに目が行く。首の角度、頭のうつむき加減など、ちょっとした違いで良し悪しが決まる。奥が深いですよ。」とのこと。木の大きさや年輪の具合を見極めながら、出来上がるきじ車の大きさに合わせて切り出す部分を決め、ナタとノミで彫りだしていくのですが、一通りできるようになるには少なくとも3〜4年はかかるそうです。
 
 「目を引くような派手さはないので、作ったものがどんどん売れる訳じゃない。でも皆、きじ車を作ることが好きで、この伝統を守り伝えたい、という思いで作っている。仕事を終えて集まってきた仲間ときじ車を作り、その後一杯やりながらいろんな話をする、それもまた楽しくてねぇ。」と高倉さん。地域を愛し、きじ車を愛する人々の思いこそが、この郷土玩具を今日まで残してきたのだ、と感慨深くお話を伺いました。

 さて、冒頭でご紹介した大きなきじ車のモニュメントですが、「きじ車の里」のシンボルを作ろう、と半年間話し合い、冬の厳しい寒さの中、毎晩遅くまで作業を続けてようやく作り上げたそうです。その大きさゆえ、重心の位置や強度など未知のことばかり。一級建築士の会員が設計図を引き、試作品をもとに杉を組み合わせていきました。金属の釘は一切使われていないそうです。
 「あまりの大変さに最後は皆へとへとだった」というその大きなきじ車は今、高台に設置され、春には地元の幼稚園が遠足に訪れるとのこと。子どもたちの心にも、きじ車が地域の宝として刻み込まれていくのだろうな、と感じました。

【お問い合せ先】
●大野原きじ車保存会
 〒879−4331
 大分県玖珠郡玖珠町大字戸畑3522
 電話0973−73−7405(タカクラ)
●玖珠町役場 商工観光振興課
 〒879−4492
 大分県玖珠郡玖珠町大字帆足268番地の5
 電話0973−72−7153(直通)

飾らないシンプルな造形美がリーチの心をとらえたという。

子どもが乗れるサイズでも一本の木から切り出す。奥は師匠 上野直さんの作。

集落を見下ろすシンボル。全長10m、重さは24.5t。車輪だけでも子どもの背丈の2〜3倍ある。

大野原きじ車保存会の現在のメンバー。

お話を伺った保存会の会長、高倉三蔵さん。

集落のあちこちにきじ車が。こちらは石で作られたモニュメント。

橋の上にも。

巨大きじ車からの眺め。緑豊かな田園地帯である。

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