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大分|職|職人の技

竹田市

後藤姫だるま工房

Vol.31
 かつては岡藩と呼ばれた大分県竹田地方。この地域では、正月に、郷土人形の姫だるまを使った「投げ込み」と言われる行事が行われます。「投げ込み」の由来や姫だるまの制作の様子などを伺いに、姫だるまを作る唯一の工房「後藤姫だるま工房」を訪ねました。
 もともとは「おきあがり」「福女」などと呼ばれていた郷土人形の姫だるまは、360年ほど前の岡藩の下級藩士、雑賀(さいか)氏の妻、綾女(あやめ)がモデルです。由来によると、ある年末、禄高が少なくいさかいも絶えなかった雑賀家を出ようとした綾女が、行く宛もなく道端に倒れていたところを正月に夫が救いだした。その出来事によって家族の愛情を深めた雑賀家は、その後夫も昇進して繁栄した…という話から、家庭円満、商売繁盛の象徴として、彼女をモデルとした女性の形のだるまが作られるようになったとのこと。そして、この地域では、地元の青年団などにより、それぞれの家庭が栄えることを願って、そのだるまを正月の未明に各家々に配って回る風習「投げ込み」が行われてきたそうです。配る人をホギト(祝人)といい、贈られた家は祝儀を渡してだるまを家に飾ります。
 「一家の支えである奥さんが明るく元気なら、その家は安泰だ、ということなのでしょうね。昔は農作業など、それぞれの家が助け合わないと暮らしがなりたたなかったため、お互いの家が繁栄するように願う風習が生まれたのだと思います。『投げ込み』と聞くと荒っぽいですが、実際にはそっとだるまを転がり入れていたようですよ。」と、お話を伺った後藤姫だるま工房の久美子さんが教えてくれました。
 しかし、大正末頃まで行われていたという「投げ込み」も時代の変化で廃れ、かつては5〜6軒あったというだるまを作る人も戦後にはいなくなってしまっていたそうです。
 そのだるまを地域の宝として復活させたのが、後藤姫だるま工房の先代、恒人さん。昭和27年頃、古い家にあっただるまを参考にしてだるま作りを再開し、名前も「姫だるま」に統一しました。今は二代目である明子さんを中心に、ご家族で姫だるまの工房を営んでいます。
 「復活させようと声をあげたものの、もはや作り手がいなくなっており、それでは、と先代が自ら作り始めたと聞いています。初めはいろいろ苦労があったと思います。」
 しかしそのかいあって、今では「投げ込み」も商工会議所の青年部がホギト役を引き継いで行われるようになりました。また、かわいらしさと気品を備えた姿の姫だるまも、テレビなどで紹介されるにつれ、全国にファンが広がっています。
 「作る人、それを贈る人、もらってうれしいと思う人、三者がいないと『投げ込み』も成り立ちませんし、姫だるまづくりも続きません。伝統あるものといっても、いったん作るのが途絶えると復活するのはとても大変なことです。姫だるまが縁起物として喜ばれる限り、がんばって続けなければと思っています。」
 伝統を守ると言うのはたやすいですが、ものづくりは使い手があって成り立つもの。その根本をあらためて感じた一言でした。
 それにしても、正月に、自分の家だけではなく、地区の家々それぞれが栄えることを願い合う、というのはとても心温まる、すばらしい風習だと思いました。2012年は豪雨災害でたくさんの方々が苦労された竹田地方ですが、新しい年が幸多いものとなることを工房に所狭しと並んだ新年用の姫だるまも願っていると思います。

◇後藤姫だるま工房◇
〒878-0035 竹田市吉田889
電話 0974−62−3735

工房の二代目明子さんが心を込めて一つひとつお顔を仕上げていきます。

土台となる木型。大きさは8〜20pの8種類あり、通った鼻筋に気品が漂っています。

木型に紙を八層に貼り重ね、乾いた後で型から外し、張り子状にします。

お化粧を待つだるまさんたち。「お正月前の今が一番賑やかですね」とのこと。

あまり見られない姫の後ろ姿。厄除けや子孫繁栄を願う宝珠が描かれています。

工房は川沿いの静かな田園地帯にあります。

最初にニカワに胡粉を溶かした白い顔料を塗ります。伝統的な顔料で作られる姫だるまは、年月が経っても色が変わらないそう。

最初の塗りの工程が終わったところ。胡粉の白さは目に優しく、陽に当たって柔らかな光を放っていました。

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