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大分|触|観光情報

玖珠町

〜陣屋から望む、童話の里〜

Vol.22
 江戸から明治にかけての大分県内には、10万石を有した中津藩を筆頭に8つもの藩と幕府直轄の天領・日田があり、小藩が分立していました。
 その内の1つ森藩は、現在の玖珠町に当たり、城のない城下町でした。石高の小さな大名は、城を持つことを許されなかったため、代替に「陣屋」と言う屋敷を設け、藩庁を置きました。

 徳川幕府より1万4千石を与えられた初代藩主・来島長親(くるしまながちか)も、廃城された角牟礼城(つのむれじょう)の代わりに「森陣屋」を築き、敷地内には愛媛県大三島の大山祇(おおやまづみ)神社を勧請した末広神社(三島神社)を造営しました。
 けれど、やはり一国の大名として質実剛健な城郭への憧憬があったのでしょうか。8代目藩主・通嘉(みちひろ)の時代には、末広神社の改築を理由に石垣を積み、絢爛な庭園や山門などの整備を行いました。中でも茶屋として建てられた「栖鳳楼(せいほうろう)」は、“紅葉の御茶屋”とも呼ばれた楼閣で、城の天守閣に見立てたものと言われています。

 現在、森陣屋の建物の大半は取り崩されてしまいましたが、末広神社や栖鳳楼等は現存しており、敷地の一円は三島公園として整備されています。その景観は城としての風格を漂わせ、往時の面影を今に伝えています。

 また、来島氏は瀬戸内海で活躍した村上水軍の末裔で、2代目藩主・通春(みちはる)の時代に「久留島」姓に改めています。
 「日本のアンデルセン」と称された童話作家・久留島武彦(たけひこ)は、その直系の子孫であり、最後の藩主・通靖(みちやす)の孫です。「口演(こうえん)童話の父」とも呼ばれるとおり、子どもたちに語りかけ、夢を与えるために童話の読み聞かせを行いながら、全国の幼稚園や小学校を回りました。

 郷里である玖珠町には、彼の功績を讃えて遺品や関係資料を集めた記念館や童話碑が建てられており、毎年5月のこどもの日には日本童話祭が開催されています。

○ 問い合わせ先:玖珠町観光協会/0973-72-1313

石垣の跡

栖鳳楼

末広神社

久留島記念館

日本童話祭

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